今回はオデュッセイアの第二弾記事をしたいと思います。前回でノーラン映画特集としてインターステラーのレビューをしたいと思いましたが、オデュッセイアを見てきましたから、その熱が冷めないうちに記事にしたいと思います。

前回の記事でオデュッセイアはこういう映画ではないか?という推察記事を書きました。今回はその答え合わせになります。
そしてこれは断言しますが、おそらく日本で1番詳しく解説できるレビューになると思います。
しかしながら詳しくともそれは意味がない行為であり、私自身が前回の記事に触れた空想の中で生きるドンキホーテ他ならないという事の証明であるという風になります。
ま、とにもかくにも早速いきたいと思います。
尚、劇中のストーリーに関してはなるべく触れずにいきます。しかしながら最後の結末についてネタバレしますので、鑑賞をしてない方はぜひ見てからお願いしたいと思います。
あくまで2回目見たらより楽しく見れる、あるいは面白くなかった人は面白く見れる可能性があるという記事になっていますので、そこのところはご自身で判断いただけたらと思います。
⚔️オデュッセイア⚔️/レビュー

これは実は日本人が一番楽しめる作品だと感じました。
前回の記事に書いた通り、オデュッセイアは人生を暗中模索している騎士/ナイトという事で、暗中模索=闇/darknightを彷徨う騎士/dark knightという意味合いがとれる。
また騎士道というのは正々堂々と戦う事に対して、トロイの木馬から闇討ちするっていう事自体が闇の騎士/ダークナイトであると。
そして人を騙して闇討ちするという事はジョーカーのやりそうな事だし、ノーランそのものはダークナイトを作った事によって人生が変わりオデュッセイアの人生と同じように闇を彷徨っているという事かなと思いました。
虚構の世界にしか存在しないのにジョーカーは物語をこえて現実社会に大きな影響を与え、ノーランの範疇を超えて手がつけられない存在になっている。
オデュッセイア/ノーランの暗中模索の旅を描きたかったのだろうと推察しました。
また兵士が帰還でないという点もダークナイトという映画を作ったせいで、ダークファンタジーやジョーカーのような存在を中心とした映画が量産されて、芸術よりも金儲けのために兵士/みんな走ってしまって死んでいったという事なのだろうと考えました。
そしてオデュッセウスの妻に求婚しようとしている騎士達がいる。
それは妻ペネロペは映画そのものであり、映画を利用して権威と権力、金儲けをたくらむダークナイト達がいると。
また騎士道物語で騎士が帰還する話と言えばもう一つ有名な小説があります。ドンキホーテという作品ですが、こちらも意識してるのではないかと思いました。
ドンキホーテの作者ミゲル・デ・セルバンデスは戦争で片腕を失いつつ、帰還中に海賊に襲われ捕虜となり、スペインに帰国した際にはオデュッセイアのように歓待を受けると思っていたが、むしろ降格処分になり、絶望して50代にケンカ騒ぎを起こして牢屋に入れられてそれがきっかけでオデュッセウスの旅路に重ねてドンキホーテを書いたと言われてます。

クリストファーノーランはドンキホーテのあの旅路とオデュッセイアを重ね合わせつつ、ミゲルデセルバンデスが騎士道にのっとり人生を送り30代に帰国し、50代でドンキホーテを書いたのと同じように、30代でバットマンという騎士道精神を軸にした物語を作り、50代でオデュッセイアという騎士道物語で答え合わせをしてるといる。
騎士道というのは素晴らしいが、オデュッセイウスのような英雄譚は虚構に満ちたでっち上げであり、人々は常に英雄を求めるが、現実にはそんな者はいないのだという事を謳ったストーリー性と、あのいととおかしき正気を失ったドンキホーテと、人々がノーラン最高と言えば言うだけ、ドンキホーテの気分にノーランはなると。ダークナイトという作品で、死者が出ている。

罪を背負っている自分が、映画界の巨匠だのなんだの言われるのは、ドンキホーテ以外の何者でもない。
あらぬストーリーを勝手に作られあらぬ人物に仕立て上げられ勝手に祭り上げられている。
ドンキホーテはコメディで、ミゲルデセルバンデスの人生に起きた悲劇を喜劇にしている。このオデュッセイアも同じく実はコメディの要素が実に立っています。コメディというのは不幸であればあるだけ、笑いが立つという事です。説明しましょう。
中世ヨーロッパでは庶民は9割方税金が取られました。空気を吸っても税金を取られ、死んでも死亡税というのがありました。生きても死んでいい事がない。しかしこれだけでは終わりません。キリスト教では罪を告白しない限り、天国には行けません。罪の告白にも金が取られます。まだあります。飢饉はだいたい10年に一度おきます。そうすると食糧が足りないので戦争が起きます。すると庶民が死んでゆく。さらに栄養失調で病気が蔓延する。ここでも多くの人が亡くなってゆく。さらにこれによって呪いだ祟りだと言って生け贄や訳のわからない理由をなすりつけられて人が死んでいきます。つまり絶望に絶望が相次ぎもうないだろうと思ってもさらに絶望があって勘弁してくれと言ってもさらに絶望が続き、もう人なんていないよと思ってもさらに絶望が続く。笑えない状況なのに笑ってしまう、これがコメディの本質で不幸の連鎖が続き不幸が深くなれば笑いが立つという事になります。
オデュッセイアの絶望とコメディはなにか?
そもそも神話は現実の話ではないのに、それを一所懸命作る事自体、おかしくもあるし、ギリシャ人もでていなければギリシャの言葉でもなく、他所からきた俳優が英語でやっているという悲劇と喜劇性。
さらに兵士が豚になってゆくのは宮崎駿の千と千尋の神隠しのオマージュで、千尋が記憶を忘れたハクを助けてやがて現実の世界に戻るというストーリーを、ハクが千尋を助けにゆくという逆転した形でオデュッセイアはストーリーをなぞっています。
あれだけ初々しかったハクと千尋が、西洋で描くとなったら、酸いも甘いも経験して疲れ果てた中年の夫婦オデュッセウスとペネロペになっているという悲劇と喜劇性。
さらにエイサップロッキーというラッパーが吟遊詩人ででいますが、彼こそがあの中で1番のオデュッセウスであるという点。
ラッパーは自身の英雄譚をラップしてるというスタイルでもあるし、エイサップはスウェーデンで乱闘騒ぎを起こして留置所に入れられ、トランプ大統領が働きかけた事で釈放されたのではないか?と言われています。無事に帰還しつつリアーナの元に帰ったという点はオデュッセウスと重なりつつドンキホーテでもあるし、ミゲルデセルバンデスにの人生も重なる。
歌え歌い手よ、というセリフがあったと思いますが、それはリアーナに言えって事で笑いました。

あとペネロペ演じるアンハサウェイの演技が英語がわかると本当におかしくて仕方なかったです。
彼女はペネロペを通じて映画そのものを表現しており、映画というのは空想の創作物ですから、オーバーリアクションでありながらリアルなトーンも含んでいて、完全にコメディリリーフ的ポジションで良かったし、ノーランがオデュッセウスだとするならプロデューサーでもあるノーランの妻がペネロペになり、ラストの大立ち回りはペネロペは何にもせずに蚊帳の外から見て、現場で指揮してるノーランがヒイコラ言いながら血まみれになって戦っているという構図になるので、そいう点も含めてコメディが立っていて笑いました。
⚔️黒澤明とノーラン⚔️

私が1番この映画を見て感動したのは、ノーラン自身は映画をペネロペに見立て、彼女に会う事によって映画を作る意志を見せて終わるのだろうという事は予測できたけど、まさかジョーカーを生み出した、忌まわしき原点に目をそらさず、向き合い物語をつむぎ出した事です。
黒澤明の映画によって惑わされたが、同時に黒澤明の映画によって復活するという展開には拍手喝采です。
かつて猟犬のようなオデュッセウスが物乞いという野良犬になり、飼っていて捨てられた猟犬/野良犬に触り、再び人々を守る番犬となる。あのシーンは泣きそうになりました。見事な見栄/ミエの切り方。

これは黒澤明と三船敏郎の関係を表している。黒澤明は野良犬では警察の新人刑事/法を守る番犬の役をやらせます。さらに用心棒では人を守る役をやらせ、天国と地獄では会社の重役として人々を牽引し守る側をやらせます。
その天国と地獄を土台にして作りあげたのがダークナイトです。ダークナイトではブルースウェインは会社の重役でありバットマンとして人々を守る用心棒の役割を果たしている。三船敏郎をなぞっています。
そこにジョーカーがバットマンに扮した一般市民を誘拐して殺害する。
マフィアとギャングに雇われた野良犬のような用心棒ジョーカーと、人々を守るが暴力に頼る正義の用心棒のような野良犬、バットマン。
天国と地獄で誘拐した犯人を演じた山崎努の迫真の演技に、刑務所から出てきたらどうなったか、ノーランは山崎努とジョーカーを重ね合わせ、そこからノーランの悲劇の連鎖は始まった。


その原点に再び戻り、野良犬オデュッセウスが番犬となり大立ち回りを繰り広げる。
さらに天国と地獄で誘拐された子供を助けようとする警察、番犬の役で仲代達矢が出演しています。かつて仲代達矢は用心棒という映画で、ピストルに頼る用心棒役をやりました。武士道から外れた彼もまたダークナイトであり、野良犬である。それが番犬となり、黒澤明との最後の映画、乱では一国をおさめる殿様の役として出演しています。オデュッセウスも一国を治める殿様であり、ここからノーランは乱を彷彿とさせる展開になだれこんでゆく。仲代達矢に寄せたオデュッセウス。なるほどそうきたかと思いました。

このラインがわかっているとブチ上がると思います。見事だ、ノーラン‼️と心の中で拍手喝采を送りました。
そしてあの悲劇の連鎖が繰り広げられる乱に対する返答、黒澤明に対する返答と共に、ミゲルデセルバンデスに対する返答を同時にしている。
また千と千尋の神隠しも最終的には千尋が現実に戻り、ハクは残ります。つまりペネロペが映画だとするならば、いつかノーランも私達も死んでゆくが映画は現実に残るという事を表現もしている。

人類史に対する悲劇、自身に対する悲劇、暮れてゆく映画世界と共にこれからも歩もうとする悲劇、ノーランの映画は球体であり、色々な角度で見ると様々な味わいができるノーラン映画史上最高傑作だと思います。
正直合戦シーンなどはゲームオブスローンズを見ていると物足りないところもありましたが、印象深いシーンが沢山あったし、個人的には良しとしました。
最後に長々と書いてきましたが、こんな事は全く持って意味がない。私自身が1番のドンキホーテである事。
まっすぐに物事を見れない悲劇。そういう人間をノーランからしてみるといとおかしき人物に見えるでしょう。
いかがでしたでしょうか?前回の記事と照らし合わせてみると、ドンキホーテもまくりながら、私の想像のはるか上をいく作品になっていました。まさか天国と地獄まで、悲劇の連鎖の原点に戻るまでやるとは思いもしませんでした。

最後に私がどうしてドンキホーテであるか、考えすぎて頭がおかしくなっているかを書きたいと思います。しかし確実に映画の味が変わってしまいます。ですから、我こそもドンキホーテになろうぞ、という人だけご覧になってください🔽🔽🔽
オデュッセウスの大立ち回りのシーンでロバートパティンソンが周囲の人間に命令して突っ込ませます。あのシーンを見てまるで暴れん坊将軍の悪い殿様や悪代官が、こうなったら出会えい‼️出会えい‼️皆のもの出会えい‼️と言ってらようだなと思いました。
ん?暴れん坊将軍?オデュッセウス、暴れてる。日本で言えば将軍の立場だ、、まさかノーランは暴れん坊将軍知ってるのか?と思いました。そこからさらに考えるとペネロペからもらったあの物が水戸黄門の印籠だとするならば、スケさんカクさんやってしまいなさい‼️と言って黄門様は手を汚さず、旦那と子供が血まみれになってヒイコラ言ってる図式になって、ノーランまさか水戸黄門も知っているのか?と思いました。


困った事に文脈が立ってしまう。ペネロペが映画だとするならば、長い歴史があり、名作も数々ありますから、黄門様の立ち位置になります。そこにダークナイト達が襲ってきてスパイダーマンとボーンアイデンティティの記憶を失った男が映画を守ろうとするという、立派な文脈ができてしまうのです。
ノーランが水戸黄門を知っているとするならば、皆さんならどう考えますか?考えすぎだ、流石に飛躍しすぎだ、しかしここまで徹底的に映画シナリオが伏線を回収してるならば、、、。
正直猟犬での見栄の切り方が日本っぽいし、時代劇は沢山見ているだろうと思うけど、まさかノーランが暴れん坊将軍や水戸黄門を見ているとなると、メチャクチャ面白いと思いました。
これが日本人が見たら1番楽しめる理由ですw。
IMAXで暴れん坊将軍を見るなんてなんてバカバカしく素敵な行為だろうと思いました。いかがでしたでしょうか?これでアナタも立派なドンキホーテです。ノーランに水戸黄門と暴れん坊将軍知っているのだろうか?
ノーランは仮に知っていても絶対に知らないと言うでしょう。我々はどうなんだろうか?と空想と虚構の物語の中でずっと疑心暗鬼のまま生きる事になります。
それはドンキホーテのように、珍道中を繰り広げる事になる。































































































