今回はU-NEXTで配信されている今年のアカデミー賞受賞作品、アノーラについてレビューしたいと思います。

予告編はこちら
https://youtu.be/2WtOa7PWqFA?si=b9f93ARbXo3Ae4hS
ショーンベイカーが遂にアカデミー賞を受賞という事で、私が好きな映画をザッと思い浮かべる中でも、だいたい30本はパッと出てきますが、その中でも確実にショーンベイカー監督のフロリダプロジェクトは確実に入る作品です。


ショーンベイカーは貧困の中で苦しむ人々の人生を描いた作品が多い監督ですし、演技経験がない人を出演させたり、その手の有名な監督としてイギリスの名監督、ケンローチの系譜にいる監督というのが個人的な認識です。
そういえばケンローチ監督作品をまだ扱っていませんでしたね。特集したい監督なのでぜひ今度記事を書きたいと思います。
そんなショーンベイカーが、今回は演技経験がない人はメインには置かず、全員俳優で撮った作品がまず一つの特徴かなと思います。
このアノーラという映画を見て思ったのは、ショーンベイカーにしてはちょっと意外なところも感じつつ、最後のラストシーンはとても印象に残りました。
アカデミー作品賞、監督賞、主演女優賞と受賞してましたが、心から祝福したいと思います。とても素晴らしい作品でした。
主演のマイキーマディソンはのっけから体を張った演技をしてましたが、実は昨年Apple TVプラスで配信されたドラマ、レディインザレイクに出演していて知っていました。


原作小説は読んでいて大好きですし、日本でもローラリップマンの小説は人気が高い作家なので、このブログでも記事を書こうと思っていました。しかしこれが本当にどうしようもないドラマでよくもまぁあの素晴らしい小説をここまで酷くしたもんだ、と怒り心頭で、記事を書いても悪口と愚痴になってしまうので、やめましたw。
しかしその酷い内容のドラマの中でも唯一輝いていたのが、このマイキーマディソンでした。彼女の演技だけは良かった。
あの女優さんか、と思っていました。こんなに評価されてとても嬉しいです。これからも頑張ってもらいたいです。
というわけで今回はネタバレ全開で書いていきたいと思います。ショーンベイカーは様々な解釈を残す映画を作る監督です。ですから明確な答えはなく、あくまで私が感じた事は決して正解ではないという事は最初に書いておきます。
しかし演出面についてはおそらくこのブログを読んでいただいてる人ならば、ピンとくるシーンがあると思うし、おそらく日本では気づいてない人が多いと思います。
ぜひ鑑賞した上で読んでいただければと思います。それでは早速いきましょう。
アノーラ/ネタバレレビュー

心掴まれる映画でした。フロリダプロジェクトという名作を作り出したショーンベイカー作品で楽しみにしてましたが、ちょっと驚いたのはこのアノーラという作品は、ガチガチに構成した作品だなと感じました。
最初に感じたのが、黒澤明の用心棒、野良犬に主演した三船敏郎を意識した用心棒/ガードマン役のヒゲを生やした人物が出るところです。このブログではダークナイトなどの映画レビューで言及してきましたが、法律に基づいた組織の警察やFBIは「番犬」として演出される一方、法律とは関係なく自分の利益を優先するガードマン/用心棒は、番犬ではなく「野良犬」という立ち位置があります。
その用心棒役で強そうな野良犬のような男が、不快に思う人がいるかも知れませが、のちにキャットファイトを繰り広げる猫のようなアノーラにワンパンチならぬワンキックでのされるところは笑いましたが、同時にこんなベタな演出をするのか、という驚きもありました。

川があって農業が発展して文明が築かれた上に都市があるというのとは違う経路で、ラスベガスはそもそも欲望によって生み出された都市であり、荒廃した砂漠で何も生み出さない街で、愛がないにも関わらず契約を結ぶアノーラとイヴァンに対して、上から見ると十字架の形の飛行機に乗って、そもそもこちらも愛がないイヴァンの親夫婦によって罰を与えられるという演出にしても、今までのショーンベイカーの映画とはちょっと違う毛肌を感じました。
前半はド派手に音楽が鳴っていたのに、ピタリとやんでストーリーは進みますが、プリティウーマンやフェリーニのカビリアの夜を彷彿とさせながらも、個人的にショーンベイカーはコンパートメントNo.6という映画にとても影響を受けているという印象を受けました。

アノーラのイゴール役のユーリーボルソフはコンパートメントNo.6に出演しているのですが、コンパートメントでは女性の主人公がロシアの古代遺跡を訪ねる旅に出かけると思いのよらぬ事に巡りながらも自分の住む世界とは全く違う世界の人々に触れ合いながら、閉ざされた/凍っていた心が解放されていき、ここで重要な役としてユーリーボルソフの存在がいるという映画です。
極寒の地に行くラストとアノーラのラストの雪が降るシーン、コンパートメントNo.6の女性の主人公とアノーラを重ね合わせて見てしまう自分がいました。

この映画で最も考える余地がとてもあると感じたのは、お菓子屋のお爺さんと出演してないが、イゴールのおばあさんの事。
ラストはイゴールのおばあさんの車に乗ってアノーラは送り届けられる事になり、そこで性行為に及ぶ事になりますが、これは一体どういう事なのか。野良犬のような用心棒がアノーラに鼻の骨を折られておばあさんの薬を飲む事になりますが、おばあさんは言わば薬/治癒の効果があるという立ち位置の存在になるし、お菓子屋のお爺さんは孫やイヴァン、アノーラが騒いでいても怒ることなく見逃します。
お菓子屋の主人は孫やその世代には甘い存在という立ち位置になるし、その代わりアノーラは親の事をあまり語りたがらないし、イヴァンも親については語りたがらない上に、会ったら高圧的な態度を取る厳しい存在となります。
祖父母の70代以上の世代は治癒、甘い存在、アノーラやイヴァンの親/50代以上は厳しい存在、ここに何か意味があるような気がしました。

ラストのおばあさんの車で性行為をしようとする、車は前に進むという意味で車/時代を表す物として表現してるならば、夢や癒しがあった時代で性行為をしようとするが、もうそんな時代ではなくなってしまった、外では雪が降り積もって外からも車の中からも何も見えないまま、世間/雪に埋もれてゆく事に悲しんでるという事なのかな?と思ったりしつつ様々な解釈ができる作りになっていると思いました。
一方で映画制作について言及してるな、と感じます。
映画は孫のように可愛い存在、映画は人生にとって薬のような存在、70年前の映画には夢があった、それに影響受けた親父達の世代は夢の物語を産業化してストーリー/人生はそっちのけ、パーティと刺激があるシーンを増やせ、金を産めとイヴァンのような中身のない映画が作られる一方で、アノーラは母子家庭で貧困の中で暮らしてきた/インディペンデントの映画会社はいつもお金がなく、身売りしながら映画制作を続けているという事も表現してるのかなと思いました。

そういう視点で考えると、アノーラはあくまで職業倫理に基づいてイヴァンと契約したわけですから、アノーラのように自身の人生を丸裸にして映画監督をやっていて、作りたい映画をちゃんと説明して契約したにも関わらず、スポンサーや株主が口出しして映画制作の契約を破棄し、映画会社のおぼっちゃま達はスポンサーがダメだってんだからダメなんだよ、と言ってきてダメになると。
冷え切った現実でおばあさん/夢の映画を一心に受けた、本来作られるべきストーリー/イゴールと最後は性行為/一体化するはずが、キスもできぬまま終わっていくという風にも受け取れてしまうなと思いました。
イゴールがバットを少し見つめて投げるシーンがありますが、おばあさんが見たら悲しむだろうなと思ったのかなと感じました。隠れた名シーンだと思います。
本筋とは関係ない話を書いてきてしまいましたが、国は関係なく富裕層同士はつながっていて、貧困の中にも差別があり、その一番犯罪の犠牲になりやすい女性を中心にして、世界をよくあぶりだしていたと思います。

エンドロールでは車のエンジン音が響きわたっている。前にも動かない車。いつの時代も前に進んでいない、変わってない現実がある。ショーンベイカーが最後に静かに怒りを発露してるように思えました。
あらためてアカデミー賞受賞おめでとうございます。
バットは捨てよう。
星🌟五段階評価
個人的満足度:🌟🌟🌟🌟🌟
オススメ度:🌟🌟🌟🌟🌟
