今回は映画オデュッセイアについて語りたいと思います。

と言っても実は私はまだ見ておりません。
今週末に見る予定ですが、オデュッセイアの本は読んでいますし、マーガレットアトウッドのペネロピアド/女たちのオデュッセイアは読んでいます。
今回はちょっとした面白い企画としてノーラン映画と原作を読んだ事を踏まえて、なぜノーランはオデュッセイアを撮ろうと思ったのか、見ないのに考察をして、鑑賞後に答え合わせする形で進めてまいりたいと思います。
個人的にはオデュッセイアを制作すると聞いた時にピンときたことがあったので、ザッと書いてみたいと思います。それでは早速いきましょう。
オデュッセイアはギリシャ神話で妻の元に帰る映画です。
ポセイドンの怒りに触れて彷徨う事になるのが原作ですが、おそらくトロイの木馬が鍵になると思いました。
ギリシャ神話において神々がたまに人間界に降り立つので、人々は見ずら知らずの人が訪れても歓迎する事がとても大事なのですが、神からの捧げ物として祝っている間に木馬の中に隠れていた兵士が騙し討ちをします。闇討ちをする。それは騎士道を重んじる/騎士つまりナイトとしては誉れ高い事ではありません。
それは闇の騎士/ダークナイトがやる事です。
もう一ついうとオデュッセイアの旅路と人生の闇夜を彷徨うという事を重ね合わせているところがあります。闇夜の事を英語でなんと言うか?Dark nightです。
ダークナイトといえばクリストファーノーラン作品にもあります。詳細は下記にレビューを貼っておきますからご覧ください。

今は話を進めていきたいと思います。
木馬に隠れて闇討ちをする、それはノーランのダークナイトで言えばジョーカーがやるような事だと思いました。この作品によってクリストファーノーランの人生は変わってしまった。
オデュッセイアそのものの旅路とノーランは自分の人生を重ね合わせて映画を制作する気なのだな、と感じました。
原作にはオデュッセイアの兵士たちの多くの兵士が亡くなります。
おそらくそういうシーンは必ずあると思いますが、それはダークナイトという作品が空前のヒットを飛ばし、クリエイターがダークナイトに続けと、ダークファンタジー作品を量産するようなり、ジョーカーのような悪役を模倣するようになってしまった。
芸術のためでなく金儲けのために心を捨てて死んでしまったという事だし、ジョーカーそのものを模倣して殺人事件が起きたり色々な社会問題を引き起こしてしまい、多くの犠牲も伴ってしまったというところがあると思います。
ノーラン自身の範疇を越えたところで作品は1人歩きしてしまい、彼自身自責の年に苦しんでいるという事かなと察します。正確に言えば、ノーランの妻がプロデューサーとして長年やってきてますから、妻も一緒に苦しんでいるという事になると思います。

その事実をオデュッセイアの旅に反映させているのではないか?と感じます。私は基本的に予告編を映画館以外では見ないようにしていますが、ギリシャといえば突き抜けた青空と美しい海が有名なのに、あまりそのような壮大なロケーションが宣伝として使われてないところも注目だし、暗いシーンも多いのがIMAXとの相性を考えるところです。SNSはやってないのですが、どうやらピンボケのシーンがあったりするらしいのだけど、やはりIMAXはフィルム撮影なのだろうし、粒子そのものが暗いと光が乱反射してしまうからピンボケしたりしてしまうのだろうな、と思います。
なんとなくですが、最高の撮影方法を持ってしても人間の本質は写せないものなのだ、という事なのかなと感じます。ノーランの人生の道中も暗がりの中でおぼろげである、という事を指してるかもしれませんね。
⚔️もう一つの騎士道物語⚔️
次にオデュッセイアの騎士の旅路の物語と聞いた時に私はもう一つの有名な騎士道物語を思い出します。それはドンキホーテという物語です。
ドンキホーテは騎士道物語を読んで感化されて、実在しない姫様に恋焦がれ、騎士道精神に乗っ取って従者と旅に出ます。
魔物が出た、このドンキホーテが成敗してくれると、ロバに乗ったドンキホーテは単なる風車に激突して大怪我をしたり、空想の世界と現実の世界がごちゃ混ぜで、正気ではない状態で冒険をし、やがて自分の村に帰った時に、ドンキホーテは何を思うのか?というのがあらすじです。
この小説がとても大好きなのだけど、ドンキホーテも虚構の世界に迷いこんだ、つまり人生の闇夜/ dark night を彷徨っている騎士/ dark knightになります。
冒険に出て彷徨い、再び村に帰還するというストーリー性は、ギリシャ神話のオデュッセイアを明らかに意識していると思います。そして英雄の帰還と言われがちのストーリーをドンキホーテは暗に批判している作品ともとれます。

ノーランは自分自身をドンキホーテと重ね合わせてもいるように感じます。
つまり私はずっと映画という虚構の世界で生きてきた。虚構の旅路と現実の世界を行ったり来たりしながら嘘と真実にまみれた世界を生きてきた。ダークナイトという、バットマンを使って騎士道精神にあふれた物語を作ったつもりが、ジョーカーという存在の方が大きく取り上げられすぎてしまった。
私は一体何と戦い、どうやって旅をしてきたのか?ドンキホーテが村に帰還し、オデュッセイアが妻の元に帰還するのと同じように、ノーラン自身も人生を取り戻し、映画の原点に立ち返ろうとする試み/こころみをしようとする映画なのかな?と思ったりしてます。
またなぜドンキホーテの騎士道物語を私がこだわるかと言えば、このドンキホーテを書いた小説家ミゲル・デ・セルバンデスの略歴をノーランは絶対に意識してるのだろうと思うからです。
セルバンデスはある海戦で兵士として戦い、腕を失いながらも自国スペインの勝利に貢献します。ですがこの帰国途中に海賊🏴☠️に襲われて捕虜になってしまいます。
そして5年後にようやく帰国を果たすのですが、神の為、スペインの為に貢献したのだから、英雄オデュッセイアのように賞賛されるのだろうと思っていたのだが、実際にはそれほど誉められる事なく、むしろ腕を失った事で降格処分になってしまいます。これが30代に起きた事で、ここから20年後つまり50代になってケンカ騒動をおこして牢屋にぶち込まれ、この経験によってドンキホーテという作品を書くことになった、と言われています。

言わば若い頃は騎士道を重んじ、神の為、スペインの為に戦ったが、結果的に50代になって自分の境遇を考え、振り返ってみたらどうであろうか?という事を小説に書き記したわけです。同じようにクリストファーノーランも30代でダークナイトトリロジー/騎士道物語を制作し始め、50代でオデュッセイアという、これまた騎士道物語を制作しているわけです。
私にはこれが偶然のようには思えません。おそらくノーランはこのセルバンデスの略歴を意識してオデュッセイア制作したのではないか?と思います。
いかがしたででしたでしょうか?オデュッセイアを見てないのにも関わらずここまでズラズラと厚顔無恥を承知で書きまくれるのは日本においてこの私だけではないかと思いますw。
私はドンキホーテという小説が大好きで、初めて読んだ時はギリシャ神話のオデュッセウスの事を所詮、虚構の世界と断罪してるのではないか?と感じました。それが故に今回ノーランがオデュッセイアを制作すると知った時は、ドンキホーテおよびノーラン自身が自分と重ね合わせ彷徨う旅路を描こうとしてると思った次第です。私の頭も虚構まみれです。この推察が合ってるかどうかは今週中に見てあらためてレビューしたいと思います。読んでくださいましてありがとうございました‼️
ダークナイトのレビューはこちら🔽🔽🔽より深く理解できると思います。
https://spiralout.hateblo.jp/entry/2025/04/22/210927
次回はクリストファーノーラン作品のインターステラーを特集したいと思います。






