久々の更新です。もう初めましてと言っていいでしょう、ドラマと映画が大好きな人間でございます。
昨年から少しずつ更新してきたのですが、仕事が忙しかったりコロナで痛い目をみたりしてました。
それでもドラマや映画をたくさんみてきましたので心機一転、ゆっくりマイペースでやっていきたいと思います。よろしくお願いします。
今回紹介するのは映画、DUNE/砂の惑星part2です。もう素晴らしい鑑賞体験でした。はっきり申し上げて今年の暫定的No.1映画です。原作も読んでいるのでより感動もしました。ストーリー上のネタバレはしませんが、本質的な部分で解説するので鑑賞されてない方はお気をつけください。
これはもう映画館で鑑賞というより体験すべき映画で、ポールがサンドワームに、あるいは火ぶたが切って落とされる戦闘シーンには、本で読む以上の迫力と興奮を味わえました。
待ってた。この時を待っていたんだ、と万感迫る思いで、立て続けに二回観てしまいました。
前作PART 1も今回のPART2でも大幅に原作小説からカットされてはいます。
それでも納得いく出来で、ドゥニビルヌーヴはかなりサンドワームの進み方と映画のペースを意識したのではないか、と思いました。
その進み方はサンドワームがゆっくりと砂漠と人間の欲望の底を這い進んでいくようでしたし、ラストにむけてのペースが急速に上がって様々な人間模様が繰り広げられるラストは、サンドワームがついに地上に姿を現したかのようなカタルシスがありました。
1、2を通して大幅にカットした部分と映像として映画にした事を考えると、やはりこれはドゥニビルヌーヴ自身の私的な映画であり、ルーツを遡っているのだろうなと推察しました。
ここからはDUNEの小説/映画のストーリーに隠された歴史を書きたいと思います。DUNEの小説を書いたフランクハーバートの秘めた想い、そしてドゥニビルヌーヴ監督のストーリーと共に描きたい事とは。もしかしたらこのDUNEをより面白く感じるかも知れないし、逆に損なうかもしれません。
今一度書くと、ストーリーのネタバレはしませんがDUNEの裏側に隠されたある神話と事実があり、この事をあてがいながらストーリーは進みます。なるべく鑑賞後に読んでいただければな、と思います。
♉️ケツァルコアトル神話♉️
南米のアステカ、マヤ文明にはある共通の神話があります。ケツァルコルトル神話で、それぞれの地域によって神話が変わっていますが、ケツァルコルトルは羽毛の生えた蛇、と言われたりしてます。
人々に農業を与えた神であり、生贄の儀式をやめさせたと言われてもいます。この地の文明ではカカオはとても貴重な価値があり、貨幣価値としても機能してました。
そしてカカオ+とうもろこし+唐辛子を入れた強烈な強壮剤のショコラトルは王族のみが飲む事が許される飲み物でした。
神話では人身の生贄をやめさせた事でテスカトリポカという神の怒りを買って呪術によって作られた酒を誤って飲んでしまい、妹に暴力を振るってしまいます。
それに後悔したケツァルコルトルは美しい鳥となって金星に変わったとも言われるし、白い顔の者となってある時期に再び帰ってくるとも言われてました。
そのある時期に、見た事もない乗り物に乗ってきた集団が来ました。その集団をアステカ帝国のモンテスマ2世大王はケツァルコルトルの再来と信じてショコラトルを振る舞い歓迎します。
その集団はスペイン人でした。のちにスペイン人は彼らを虐殺し、金、銀、動物、イモ、かぼちゃ、トマト、ピーマンなどをはじめとした食糧など強奪します。植民地時代の始まりです。そしてショコラトルはチョコレートという名に変わり、スペインの王族内で流行する飲み物変わりつつ、やがてヨーロッパ全土に広まりやがてパウダー化と砂糖の大量生産によって今のチョコレートとホットチョコレート/ココアと変わってきました。
話をまとめます。duneの主演のティモシーシャラメは白人で鳥のようにフワリとした髪型をしていつつ、救世主として崇められそうな役としてPart1から演じていました。
ウォンカとチョコレート工場という作品も出ています。それはおそらくduneの主演してる事が大きいと思われます。
さらにフレメンの民のリーダー的存在のスティルガー役のハビエルバルデムはスペイン人です。つまり植民地支配した側の人間が、虐殺される側の役をやっているという事になります。
ケツァルコルトルは決してワーム/ミミズではないですが、羽毛の生えた蛇という言い伝えと似てはいると思うし、今回の映画ではそのサンドワームから抽出された液体がストーリーに重要な役割があります。
それはケツァルコルトル神話でいうショコラトルにあたると推察します。
フローレンスピューはイギリス人。巨大な無敵艦隊と言われたスペインとのつながりも想像できてしまう。
他にもいくつかありますが、まあそんなところです。
原作小説は大幅にカットしつつduneはケツァルコルトルの神話をなぞるようにストーリー展開してるようにも見えます。
ドゥニビルヌーヴは移民と空虚な主人公をテーマに映画を撮り続けている監督だと思います。代表例はボーダーラインかなと思います。
このduneでもそのテーマ性は変わらず、そして作られるであろう次作に関して、原作小説を読んでいる者としてその結末を考えた時に、このDUNE Part2のエンドクレジットが終わっても座席から離れられずにいました。
ドゥニビルヌーヴの、移民としてカナダに移り住んだ彼の持つ底知れぬ闇。砂漠という植物が育たぬ死の地で、死肉を争うような歴史を重ねて、ドゥニはずっと砂漠を彷徨っているのだなと感じました。
ドゥニビルヌーヴだけではなく、それは自分にも当てはまる。日本人とて多くはユーラシア、中国大陸から流れ着いた流浪の民でもある。
王族もいたろうが、多くは戦禍を逃れてきた難民だった可能性も高くある。結局私達とてドゥニと同じ砂漠を彷徨っているのだ、と思います。
ラストのあのカット。サンドワームを呼び、待ち受けるあの人物のように強くありたいと思いました。
鑑賞、いや体験する時はぜひIMAXで。飲み物はホットチョコレートがオススメです。